インドネシア国籍を剥奪されてしまった子供の話

ちわっす。

今年は4月には乾季に入るとか言ってましたが、結局まだ本格的な乾季には入ってないバリ島。時々雨も降るので、また去年のように乾季が短くなっちゃう感じ?

さてIKAN

国籍法改正に関しての話は以前から何度も書いています。過去の関連記事はこちら

この国籍法改正で、頭を抱えている方も多いかと思います。
何が本当で、いったい何をどうすればいいのかわからない方もたくさんいるかと思います。

今日は、2重国籍の子供(日本とインドネシア)のインドネシア国籍が剥奪されてしまった例を紹介します。

変に勘違いされないように、言っておきますが、2006年7月31日以降に生まれた子供はまったく関係ないのでスルーしてください。(2006年7月31日以降に生まれた子供でも、affidavitがないと問題になることもあります)

今回剥奪されてしまった子供は、2004年生まれでした。

去年、インドネシアのパスポートを更新しようと、イミグレに行ったところ、「日本のパスポートを持っているかどうか」を聞かれ、「持っている」と返答してしまいました。
ここで、この子が、「日本のパスポートを持っていない」といえばよかったし、日本のパスポートを持っていると返答しても、SK(SKとは2006年の法改正の時に申請をし、インドネシア国籍を持っているという証明書のようなもの)を持っていれば問題なかったのですが、持っていなかったため今回の国籍法の改正の通り、「インドネシア国籍を喪失している」とのことで、インドネシア国籍が剥奪されました。

ですので、同条件の方

①1988年8月1日-2006年7月31日までに生まれた子
②2重国籍の子
③SKを持っていなく、日本のパスポートを持っている子

この条件に当てはまる子は、インドネシアのパスポートを作るときに、「日本のパスポートを持っている」とは絶対に言わないようにしてください。

それから、2006年7月31日以降に生まれた子供も、Affidavitを持っていなかったら、絶対に「日本のパスポートを持っている」と言わないようにしてください。

話は、インドネシア国籍を剥奪されて子の話に戻りますが、去年バリの高校を卒業したのですが、今は、インドネシア国籍がないため、日本に帰国しアルバイトをしているそうです。

情報不足で子供の未来が違う方向に決められるのは親としてはやるせないと思いますので、皆さんもお気を付けください。

それでは。

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(4)件のコメント

  1. 小野澤尚子

    こんにちは
    以前からずっとブログを拝見し、参考にさせて頂いております。
    バリ在住の日本人嫁です。
    ウチの娘は、2003年生まれで、まさにこの問題に翻弄されました。
    『絶対に「日本のパスポートを持っている」と言わないように』しても
    ダメだった『第一号』だと、日本領事館さんにも言われました。
    それまで、イミグレから領事館へ『〇〇と言う人物が、日本のパスポートを持っているか照会せよ』
    と言う命令は皆無だったそうですが
    娘の場合は、正式な文書にて領事館へ照会が来ましたので、
    これ以上ウソを重ねても良い事はない・・と正直に日本のパスポートを持っている事を話し
    インドネシアのパスポート更新をあきらめました。
    (ちなみにイミグレに前払いした、インドネシアパスポート発行料金約6000円は規定により・・との事で
    一銭も返ってきませんでした。ものすごく悔しかったです)

    幸い「日本の短大を受験し、合格できたらそのまま日本人として、日本に住む」と
    娘は決めていましたので、
    インドネシア国籍が喪失する事への悲しみは少なかったのですが
    父である主人(バリ人のお百姓)は、かなり複雑な心境だったようです。
    生まれてこの方、娘をかわいがってくれた主人の親族一同も驚きを隠せない様子でした。

    それより困ったのは、
    娘の日本のパスポートは今回、15年ぶりの日本帰国用に
    領事館で新規作成して頂いた物で、入国/出国スタンプがありませんでした。
    その為、
    15年前(ほんの2週間日本への一時帰国から)バリで入国し
    以降、ビザを持たずにバリ島に住んでいるヤバい日本人になってしまった訳です。
    短大受験の為の出国まで残り1カ月
    ご存じの通り、何十万円もかかるキタスやキタップを作るには
    お金も時間もありません。
    イミグレ
    カンウィル(国籍を管理する役所)
    日本領事館
    どこに聞いても、出入国スタンプのない真っ白なパスポートで
    どうやってこの国を出してもらえるのか・・ 誰も答えがわかりません。
    ぐるぐる、ぐるぐる、たらい回しに会いました。

    困り果てた、私と娘を見て、かわいそうに思ってくれたのか
    イミグレの女性職員さんから
    『どんな回答になるかわからないけど、最前線である、空港のイミグレに聞いてみては』
    と提案してくれました。

    ご存じの通り、空港のイミグレは手荷物を預けた、その向こうにありますので
    幾人もの、空港職員さんに理由を話し
    何回もの荷物検査/身体検査を経て、やっとたどり着く事ができました。

    そこでも、すぐに回答は出ず・・でしたが
    1週間程待たされ「ココもダメだったか」とあきらめかけた頃、やっと
    「理由は理解しました。
    私達で、出国させますから、出国便が決まったら知らせてください。
    ただし、お手伝いできるのは今回の出国までです。
    日本からバリへ戻って来る時は観光のお客さんとしてVOAを取得し、その後帰化するなど
    身の振り方を考えてください。」
    との事でした。

    すわ、賄賂か・・と心配しましたが、
    まったく必要ありませんでした。

    ただ、出発当日の朝まで、ワッツアップで連絡がとれていた「私達で、出国させ」ると約束してくれた
    空港イミグレ職員さんと、
    連絡が途絶えてしまいました。

    出国審査で止められ、またイチから説明しなおし・・
    飛行機の出発時間はせまって来る・・
    もう、ダメか・・ と思ったその時、娘が「件の職員さんのワッツアップ会話画面」で見た
    ガールフレンドさんとのツーショット写真を見せ
    「このお兄さんが1カ月前にココ(空港)で、今日出国させてくれると約束してくれたんです。」
    と訴えました。
    すると「え?○○(ツーショット写真のお兄さん)の知り合い?」
    と、幾人かの若いイミグレ職員が集まって来て
    「そういう事なら、ちょっとコッチへ来て」と、1カ月前に訪れた空港イミグレ事務所へ呼ばれ
    数分待ったのちに
    「はい、あなたの日本のパスポートに出国スタンプを押しました。」と渡してくれ
    「ただね、小さい時に作った、インドネシアのパスポートは、今後誰にも見せちゃダメだよ。
    そーっとしまっておいてね。」
    と笑顔で送りだしてくれました。
    (こんなの受け取れないと固辞されましたが、せっかく用意してきたのだからとお礼の菓子折りをお渡ししました)

    娘が年ごろのオンナノコだったから、賄賂もなく通してもらえたのかもしれません。
    それでも、この人達(最前線で働き、この問題を一番理解している空港イミグレ職員さん)の
    温かい配慮がなかったら、娘はこの国を出る事はできませんでした。
    今でも思い出す度、感謝するばかりです。

    幸い、日本の短大に合格する事ができ
    娘は、晴れて日本の日本人として、住民票も取り、マイナンバーカードや
    携帯番号、銀行口座も取得して、毎日一生懸命勉強してくれています。

    幼稚園以来「日本の子、日本の子」とかなりのイジメにも会いましたので
    現状、バリ島へ戻りたいとは言いません。
    (私は、現在バリ島に戻り、結婚ビザ・キタップで暮らしております)

    ただ、今後、バリ島の家族・・祖父母に何かあった時等
    生まれ故郷であるこの島へ戻って来たいと思っても
    「観光客」「外国人」の身の上となります。

    もし、日本の就職がうまく行かず、やはりバリに住みたいと感じたなら
    大金をはたいてビザを取るか、帰化するかしか道がありません。

    誰に話しても、最初は信じてもらえない。
    生まれた国を、島を恨みながら娘は日本へ旅立ちました。
    まるで、国を追われる難民のような気持ちでした。
    未だ、主人の住む田舎には娘のカルトゥクルアルガは生きています。
    KTPもあります。
    戸籍も、国が発行した身分証明書もあるのに、国籍がない。
    正直、こんなにインドネシアをイミグレを恨んだ事はありません。

    つたなくお恥ずかしい文章ですが、同じ問題に直面するお子さん達の解決のヒントにでもなれば
    と思い書かせて頂きました。

    子供達の将来が少しでも明るく希望に満ちた物になるよう
    祈るばかりです。

    1. papasdive2024

      こんにちは。
      コメントのほうありがとうございます。
      娘さん、うちの娘と同じ年なんですね。なんだか空港での苦労とか聞くと、泣けてきてしまいます。
      でも、日本国籍という選択肢が残されていて、それを受け入れて日本人になったことはよかったのかもしれませんね。
      旦那さん側の気持ちを考えると複雑ですが、どうしてもどちらか一方はそうなるから仕方ないですよね。自分の場合は、娘がインドネシア国籍にすると本人が決めたことだし私自身もインドネシアに住んでいるので寂しい気持ちとかはありませんでしたが、娘さんのように日本に行ってしまい、日本国籍になるのとはやっぱり別物ですよね。
      でも、今後、日本にいって日本人になってよかったと思える日が来るかもしれませんね。
      私もそうなるよう願っています。

  2. 小野澤 尚子

    お返事ありがとうございます。

    ご共感頂き、ずっとひとりで抱えていた、くやしさや後悔がすーっと引いたように感じます。

    コメントさせて頂いたのは、初めてでしたが
    ずっと以前から、パパスさんのブログを拝見しておりましたので、感無量です。

    日本人の私だけでは知り得ない事、田舎の主人ではわからない事、
    お嬢さんや小デブさんの学校や、子供社会の事
    おいしいお店、便利なアプリ・・ 
    今まで、教えて頂いた事は数えきれません。改めてお礼を申します。

    お嬢さんはお医者様を目指されるのですね。
    ウチの子は航空整備士です。
    国籍は違えど、国際カップルの元に生まれ
    バリで育ち、色んな経験を重ねて、夢を叶える為に親元から飛び立ってくれた。
    4匹の猫を残してくれたのも同じです(笑)

    今はまだ「空の巣症候群」でさびしくて泣いてしまう事もありますが
    ラインで日本の生活の楽しさや学校の大変さ・・など伝えてくれる度
    20年近く、バリで叶えてやれなかった「憧れの国の人」になろうと頑張っているのが
    痛いほどわかり
    「かーちゃんも負けずにやらねば」と勇気づけられております。

    日本の女性議員さんが国会でお話なさった二重国籍の動画も
    さっそく娘に教え、20歳までに国籍選択届けをするように伝えました。

    小さい、小さいと思っていた小デブさんもすっかりお兄ちゃんになられて
    ・・学校の成績トップの記事には、もらい泣きしてしまいました。
    がんばったね、本当にがんばった、すごいね。

    どうぞ、今後とも、楽しくて為になるブログでバリに住んでいる私達を助けてください。
    本当にありがとうございます。

    1. papasdive2024

      コメントありがとうございます。娘さん航空整備士になりたいんですね。
      そうなのであれば、日本で日本人として身に着けられる技術はインドネシアでできることとは比較にならないでしょうから、結果、よかったのかもしれないですよ。
      日本の航空業界で活躍してもらいたいですね。

      うちの娘は娘で、インドネシアの医療レベルを上げたいという目標があるようです。

      国と職種は違えど、人の役に立つお仕事だと思います。

      それぞれで頑張ってもらいたいものです。

      親としてその活躍を楽しみに待っていましょう。

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